行き詰ってはダイスを転がす毎日です。常に初陣。
2013年10月15日 (火) | 編集 |
3ヶ月で7㎏落とした。

文字にしてみると、ダイエットフードやサプリメントを連想させるかもしれません。

しかし実際の減量の極意は、

1.朝昼晩3食きちんと食べる
2.食べたら身体を動かす
3.朝起きて夜眠る


という生活を「3か月間続ける」というものでした。

まず1.の食事について。血糖値のコントロールに徹しました。

糖尿病の食事療法を調べていくうちに、血糖値さえガツンと上げなければベスト体重に整うという事を知りました。

1.野菜、たんぱく質、炭水化物の順に、一種完食してから次を食べる。

2.ジュース・甘い菓子はもちろん、スナック系・せんべい・アルコールなど体内で糖化するものは、主食以外に摂らない。

調味料に白砂糖は止めて、三温糖か蜂蜜を使う。

パンは全粒粉(見た目似ているが市販のライ麦パンは別物、ライ麦全粒粉ならOK)

米なら玄米か、白米+雑穀米といった、白く無いものを選ぶ。

グルテン類(パン・ピザ・麺類)は食べない。

3.しっかり噛んで1食に20分以上かける。

4.満腹感を得たら箸を置き、1口分でも残ったら水気の多い生ものは捨てる。

揚げ物、煮物、焼き物などアレンジ料理に利用できそうなおかずは冷蔵庫か冷凍室に。


今までは食べ物を残すという行為に罪悪感があるからといって、自分の胃袋の中に捨てていたようなものです。この余計に食べたカロリー消費の為に悩んだり運動したり等、貴重な時間を費やすことの方がもったいないというように考え方を変えました。

次に「2.食べたら身体を動かす」について。

これは「食休みなぞ要らん!」ということです。血糖値の上昇と共に眠気が襲う前に立ち上がり、洗いものを済ませます。

洗い物の間に胃の中が落ち着いてくるので、済んだらTVでも観ながら10分程度スロージョギングしておきます。胃が重くて跳ねたくない場合は「踏み台昇降」に変えたりします。これを3食毎に(10分×3食後やっておけば1日で合計30分間の有酸素運動は完了です。


ちなみに外食の場合は、外食先で食休みと称して寝転ぶこともありませんので、自宅に帰ってから不足時間分だけ運動します。

開始時は3分でも苦痛でしたが、やがて体重が落ち始めると膝の痛み(骨折痕)や運動中の呼吸が楽になってくるので、この夏は週2ペースで隣町の市営プールに自転車で通うほど元気に過ごせました。

最後に「3.朝起きて夜眠る」について。

これが一番つらかった。だって夜更かし大好きなんだもん!

しかし夜10時以降、特に深夜0~2時といった一番楽しい時間こそが、脂肪の代謝と肝臓やお肌の修復にとってゴールデンタイムなのだそうです。

まあ夜に眠っておけば夜食も食べないし、日中に眠くならないから活動的になるのは当たり前の話でございます。

そんなこんなでまず2ヶ月後に5㎏落とした状態で、1回目の血液検査に挑んでみました。続く~。









2013年10月04日 (金) | 編集 |
事の始まりは今年のGW明けでした。

糖尿病を患っている母が「アンタも試してごらん」と尿糖試験紙「新ウリエースGa」をくれたのです。

そういえば母方の身内(祖母+伯父+叔父)に糖尿病患者が3人もいます。そこに母を加えれば4人です。

やばいやん私。
糖尿一族のサラブレッドじゃん。

ちょうどその頃(GW明け)の私といえば、胃が張って苦しい日が続いていました。

肋骨の右下に手で触ると痛い部分があって、筋肉痛なのか何なのかよく判らない状態です。

食事を摂るとすぐに睡魔が襲ってきます。

普段は飲まない炭酸ジュースを買って飲んでしまったりも。

そこで試してみた「尿糖試験紙」

朝ごはんにおにぎりとみそ汁を食べ終わって1時間後に尿検査です。

判定は試験紙の色で判断します。

異常がなければ真っ黄色。

尿から出る糖度が高ければ高い程、緑色が濃くなっていきます。

で、その時の私の判定はといえば、

真っ黒(死)

ままま、真っ黒ってななな、何???

よく見ると、真っ黒に近い程の緑色なのです。

……ガチやん。これガチで糖尿やん私。

足元の床が崩れ落ちそうな恐怖に包まれました。

即座にパソコン前に座り、尿糖検査紙の結果が糖尿病判定の全てなのかを調べました。

とにかく怖くて怖くて、そりゃもう狂ったように。

翌日の昼食でチャーハンを食べた後に外出し、ジュースを飲んでから1時間後に検尿してみたら、これまた真っ黒。

これ以降の私は殆どノイローゼ状態で約3ヶ月を暮らすことになります。

3ヶ月後にブドウ糖負荷試験を受けたのです。これは糖尿病を判定する為の、最終的に精密な血液検査です。

同じ症状に悩まれてこのページに辿り着いた方の為に結果だけ先に書くと、私は糖尿病ではありませんでした。

次回に3カ月で7Kg落としながら血液検査に臨んだ経緯をお伝えします。






2012年05月16日 (水) | 編集 |
乳腺症が老化現象なのだとは理解した。

しかし、この生理周期に関係なく起こっている慢性的な痛みは、どうにかして取りたい。

まずは婦人科の医師に相談してみることにしました。

処方されたのはボンゾール(ダナゾール)といホルモン治療薬です。診察室で見せてもらった説明書によると、子宮内膜症や乳腺症の治療薬と書いてあります。なるほど。

「まず2週間飲んでみて、症状(痛み)が緩和されるようであれば、また2週間分追加します。治療はそれで終わりです。」とのこと。

家に帰ってからネット検索してみると、月経前症候群(PMS)の治療にも使われる薬だと書いてありました。

…て、ことは~、女性ホルモンの働きを抑えるってことなのかな?とか考えつつ読み進めていくと、「男性ホルモン誘導体」の文字が。

ただでさえ体毛が濃いのに、これから毎朝ヒゲ剃りしたり、キレイなお姉さんにときめいたりするんでしょうか(どちらも日常茶飯事)

うちもうボーボーやん…(やんやんマチコっぽく言ってみた)

なんか他にも副作用で太るとか書いてるよ~。

確かに飲み始めてから1週間ほどで便秘になってしまい、3㎏増えました。

なんでも乳腺症にはカフェインが良くないとかで、それまで常飲していたコーヒー・紅茶・緑茶・ウーロン茶の類を止めたせいもあるのかもしれません。

それなのに痛みが全く取れないってどゆこと?

デコルテの辺りと脇の下。それから谷間といった乳房の周囲がチリチリと鈍く痛むのです。

これはもう「ホンマでっかTV」で紹介されていたアレをやるっきゃない!

ご存知ふわふわおっぱい体操でございます。

半信半疑でやり始めたものの、
これ、ガチで効きました。

授乳期に乳腺炎を患ってからというもの、カッチカチだった肉まんが、ふわっふわに!重さの鈍痛は仕方ないとしても、チリチリした痛みが取れました。

何が凄いって、垂れた人(そうなんです)に効果的と謳われている「おっぱいはずし」を実践してから、脇のハミチチ率が減りました。

これをきっかけに便秘解消の努力もしてみたたところ、体重が少し落ちてきたようです(気のせいかもしんない)

投薬治療開始から今日で2週間過ぎたので、継続するか止めるか迷いましたが、

とりあえず「一時的に太る(+肝機能が低下する)怖さよりも、慢性的な乳腺の詰まりや嚢胞を抱えたままの方が怖い」という考えに落ち着きました。

とゆーわけで、投薬治療は続行決定。今日から残り2週間です。

なんだかんだ言っても全ての元凶が「肩こり」なのは判っています。

舌の両外側に歯型が着いてヒダ状になるほど、無意識で歯を食いしばっているワケですから。

じゃあ、食いしばらないようにするには、常時何か口に入れて食べてればいいのかもしれない。

でもこれ以上太りたくないし……あっ、そーか!

貧血にならないように釘でも舐めてればいいのか(危)

つーかそれ伊藤潤二のホラー漫画の主人公だし~。





2012年04月29日 (日) | 編集 |



何回がんばっても「たなくじ」が上手く撮れない今日この頃。

それでもたなくじチャレンジができるぐらい、気持ちに余裕が出てきました。

弟が急逝したのが今年の年明け早々。

葬儀と初七日を終えた翌日から、悲しみに暮れる間もなく役所手続きに追われる嫁ちゃんと母に代って、私は葬儀関係者への支払処理と、満中陰志(香典返し)ギフトの発注手配に追われました。

そこから四十九日の忌明けまでは、一週間毎に弟家族の家(車で30分の場所)へ通って中陰法要に参加します。

その間に母が心臓の手術の為、入院。

これは年末から予定していたもので、アブレーションと呼ばれる動脈カテーテル術です。

長年悩まされていた不整脈の原因になっている部分を焼くという、簡単な手術だと聞いていたのですが、1週間以内に退院できるはずが、切開した動脈からの出血漏れが止まらず10日間の長逗留に。

母親が入院していた間、何よりも私を脅かしたのは、初めて見る「母の鬱状態」でした。

※孫と前日交わした約束を憶えていない。

※退院日は3日後なのに明日だと言い張る。

※「どれでもいい」「なんでもいい」と、些細な選択ができない。

※「もう、私には何かを遺してやれる子供がいない…」と、娘の私にこぼす。


30歳で夫を亡くしてからというもの躍起になって働き続けた毎日の中で、心の拠り所としていた息子を突然亡くし、それでも気丈に店を開けていた母にとって、全く刺激の無い10日間のベッド生活は長すぎたのです。

病院へ見舞いに通う毎日の中で、おそらくこれは息子の急逝直後だというのに痛みを伴う長時間の局所麻酔手術を受けたことによって、PTSD(心的外傷後ストレス障害)のような状態になっているのかもしれないと思いました。

こんな毎日に胃を壊して過ごしながら、近所のママファイターじろう氏に愚痴をこぼしたところ

「だけど弟を亡くしたばかりで、つらいのはKansaiも同じやん」

という優しい言葉を賜った瞬間、

「ああ私、無理してサポート役に徹しなくてもいいんだ」

と、自分を取り戻すことができました。

母が退院して理容師に復帰してからの私は、なるべく店に通って母の様子を見ながら手伝いに追われる日々でしたが、現場復帰してからの母が見違えるように元気になったので安心できるようになりました。

そんなこんなで「2月も半ば過ぎか…そろそろ四十九日になるねえ」とダンナと話していた早朝、今度は嫁ちゃんから悲痛な声で助けを請う電話が。

嫁ちゃんの母親が酷い腹痛を訴え、状況が予断を許さないということで私達家族も病院に駆けつけました。

嫁ちゃんの親御さんは、私と同じくお母さん一人です。嫁ちゃんには姉が2人いますが、ぶっちゃけ頼れる存在ではありません。

その後、検査によってガンであった事が判明(本人に告知済み)しましたが、専門病院に転院して手術を終え、今は元気に過ごしておられます。

これをきっかけに嫁ちゃんは実家に身を寄せることに決めました。

嫁ちゃんの実家は私の母の店の近所なので、孫である私の甥っ子を預かることもでき、ベストな選択だと思います。

私は引っ越しの荷物の梱包手伝いに通いながら、嫁ちゃんに

「なんじゃこら!こんなもん、ほってまえー!」※捨てちまえ

「お姉さん、人のもんやと思って好き放題言わんといてー!」


と、檄を飛ばしつつニギヤカに送り出しました。これが3月の話。

そして先日(4月中旬)百か日法要を終えて、ようやく納骨となりました。

私の実家の墓は、なんでか男の骨ばっかり入っております。女が強すぎる家系なんだろな。

この頃、私を悩ませていたのが前月に受けたマンモグラフィー検診で「要精検」の書類が返ってきたことです。

10年以上前に乳腺線維腺腫の手術をしてからというもの、毎回マンモグラフィーと同時にエコー検査の予約を取るのが習慣になっていましたので、予約は1か月前に取ってあったのですが。

想定内とはいえ、要精検の書類に書かれていた「石灰化」の文字を見たのは初めてのことです。「非浸潤性乳がんかもしれない」と身を竦めました。

エコー診による判定結果は、石灰化の他に嚢胞(乳腺に水が溜まったもの)が見受けられるので、半年置きのエコーと1年毎のマンモグラフィーによる「経過観察」となりました。

不安が拭えず、担当医に「石灰化については、マンモトーム生検(組織採取)を受けておいた方がいいでしょうか?」と訊ねましたが、現状の所見では必要ないでしょうとの回答でした。

痛みを伴う症状から、私に下された病名「乳腺症」を家に帰ってからネットで調べてみたら

老化現象。

の一言で片づけられていました。さよか。

天国の弟よ、
姉ちゃん負けないぞ。
おー!


2012年01月13日 (金) | 編集 |
新年早々に重い話なんですが、平成24年1月7日土曜日に実弟が亡くなりました。

享年40歳。30代後半の妻と2歳半の息子(私の甥)を遺しての急逝です。

死因は拡張型心筋症と高血圧による心停止でした。

普段は気丈な嫁ちゃんと母でしたがその落胆ぶりは凄まじく、仮通夜2日間を経て本通夜、そして葬儀+同日初七日、その翌日の後片付けまで、長女としてサポートに徹した5日間となりました。

身体も心もグルグルしているのに、小学校から至急のPTA役員仕事の処理依頼が来て放置できず、寝ずの番を交代してもらって仮眠を取るために自宅へ帰ったはずが、学校に提出する役員書類を乱雑に書きこみながら「こんなときに私いったい何やってんだろな~?」と頭の中が他人事で、でも手足を動かさなければならないという日々でした。

葬儀の清算と役所手続きが終わった昨日やっと少し落ち着いたので、嫁ちゃんに渡せるような弟の写真を探す余裕ができたところです。

最後に弟と会ったのは年末近くで、「おう、ねえちゃん!」「ういっす!」と挨拶程度の会話だけです。大晦日に甥っ子用のお下がりオモチャを実家の店(理髪店)に持っていくつもりだったのに、どうせ母が私の家で大晦日を過ごしに来るから、弟に会うのは年始の開店後でいいかと後回しにしてしまいました。

若い頃から「長男教」の祖母から甘やかされて育ち、好き放題に食べて飲んで遊んで肥えて、仕事のために構ってやれなかった事を悔いている母親からは金銭的に甘やかされたまま成人。

私はそんな弟と、思春期以降からは仲良くなれませんでした。

ところが4年程前にしっかりした嫁ちゃんと出会って所帯を持ち、子供を授かってからの彼の成長ぶりは目覚ましいものでした。

姉である私に対して暮らしや子育てに関する相談事を持ちかけるようにもなり、これから円満な姉弟関係を築いていけるものと期待した矢先の別れでした。

とにかく私は弟に対して常にキツい姉でしたので、時々感じることもあった「弟の良い部分」を、その都度口に出して褒めてやれば良かったなあと悔やむばかりです。

「感謝と愛情を表す言葉は、相手が生きているうちに」

当たり前なんだけど、忘れないように書いておきます。

私は嫁ちゃん&甥っ子と母親のパイプラインに徹します。小姑の立場なのでなるべく出しゃばらず、自然に円滑に運べたらいいな。嫁ちゃん&甥っ子は未来のある身だし。

きっと遺された家族の幸せが、弟の願いだと思うので。